7.筆跡 大総統直下の配属となってから覚えることが多く忙しい毎日だったが、逆に自分の時間も取れるようになった。大総統という名のホムンクルスの監視下に入ることには緊張の連続かと覚悟していたが、意外にも慣れない仕事に対する緊張はあってもそういう意味での緊張感はまったくなかった。洗練された中央らしい雰囲気に圧倒されつつも、かっちりとした環境はむしろ働きやすくも感じられる。そのため帰宅時の疲労は、思っていたよりもひどくはなかった。家に帰るとブラックハヤテ号の相手をする程度で時間を持て余した。そこで、セントラルに異動が決まってからほとんどといっていいほど手をつけられなかった荷物を解き、ようやく整理を始めた。 小さな頃からそんなにたくさんの物を持つほうではなかったし、士官学校の宿舎に入るためにただでさえ少ない私物の中からかなり厳選して家から持ち出した。軍人として大佐の下で働くようになってからは毎日忙しくて物を買う時間もそれを使う時間もあまりなく、結局物はそんなに増えることがなかった。生活必需品はすでに紐解いているので、残っているダンボール箱はいくつもない。 残り少ないダンボール箱を開けていると、古い紙箱が出てきた。今までに貰った手紙や写真などを入れている箱だった。生活には必要ないと思っても、これだけはずっと処分できずに持ち歩いていた。久々の再会に開けてみると古い友人や士官学校の同期、祖父、実家の近隣の人などから貰った手紙や写真が出てくる。中でも群を抜いて多いのは、やはり父の弟子としてずっと我が家に通っていた大佐からの手紙だった。 入門した頃から東方司令部に所属するまでの長い間に渡って届いた手紙の数々は、彼の通ってきた道と共に私の歩んだ道の記録でもある。弟子の頃は我が家に世話になることへの挨拶から始まり、私事で父の下に通えないことへの詫び、私へのバースディカードなんかもあった。そして、我が家を出て士官学校へ入ることへの詫び、士官学校からの近況連絡、軍人として進路を決めたという報告。父が他界する前後の連絡のあといったん手紙は途切れ、しばらく間が空いてイシュバールから帰還し士官学校へ戻った私を気遣うの便りがいくつかあった。士官学校を卒業して東方司令部に配属になったところで、手紙は再び途切れる。改めて読み返すと、彼はいつも私に対して非常に細かな心配りをしてくれていたことが伺える。そんな彼に私は淡い恋心を抱き、そして彼の夢を力及ばずながらも支えになればと彼の行く道を追いかけた。まさかこんなにも彼の傍で彼を支えつづけることになるとは思わなかったけれど。 長い年月の間に、これだけ大きな環境の変化があった。それは彼自身の、そして私自身の人生の中で大きく変化したときでもあった。手紙はその変化を如実に表していた。だが、Roy Mustangという署名だけは唯一変わらなかった。見慣れた筆跡は、最初の頃からほとんど形を変えてはいない。手紙が届く度にこの名を見つけて喜んでいた幼い頃、会う機会がなくなってこの名をなぞりながら彼のことを想っていた少女時代、仕事で嫌というほど目にしていたごく最近までの日々。その意味合いは変わっても、私にとって彼のこの署名は心の支えだったのだ。 毎日のように見ていた彼の名前は、今となってはこうやって意識しないと目にすることもなくなってしまった。久々に対面したRoy Mustangの文字を指でなぞってみる。急になんともいえない心許なさが襲ってきて、私は彼を想いながら手紙を抱きしめた。 8.6度のおにごっこ 逃げる、逃げる、逃げる。この古く家は二人(と居候一人)が住むにはかなり広い、だから隠れる場所にも逃げる場所にも困らない。彼女が自分を探しているのを知っていて、なお見つからないようにこっそりと逃げる。 彼女はいつも努めて冷静な顔をしようとしているが、実は結構表情が豊富だ。最初に来たときはどんなに貧相な子だろうと思ったけれど、思いのほかくるくると表情が変わるのを発見して驚いた。焦った顔、嬉しそうな顔、怒った顔、そしてそれらが私に見つかったときの照れくさい顔。どれも彼女がどこにでもいる普通の女の子と変わらない、いやむしろそれ以上のかわいらしさを表わす。 大きな声で名前を呼んでくれさえすればすぐにでも顔を出すのに、研究に勤しむ彼女の父に遠慮して彼女はそれをしない。必ず傍までやってきて言伝る。たとえそれが夕食の支度ができた、などという些細なことでも。まるで興味のある物を見つけた子犬のようにどこまでも探しに来るので、自分を探していると知るとついつい逃げたくなってしまうのだ。そしてこっそり探している姿をのぞいて、程よいところで何事もなかったかのように顔を出す。 「マスタングさん!」 「やあリザ、そんなに慌ててどうしたんだい?」 悪趣味だなと思いながら、これだけはどうしてもやめられない。自分を見つけて明らかにホッとしたようなかわいらしい彼女の顔を見たいから。 |