An interval

 件の『フラスコのなかの小人(ホムンクルス)』との戦いから、早くも一月半が過ぎた。セントラル市街地は中央司令部のあった中心部をのぞいてほとんど元通りになっているが、アメストリス軍は相変わらず騒然としている。国を治めていた軍そのものが崩壊したのだから仕方ないが、グラマン将軍が当座の大総統に就任したとはいえ、本格的な立て直しにはまだ時間がかかるだろう。
 それは自分のいる部署も同じことで、なんとも落ち着かない状態が続いている。そもそも前大総統に腹心の部下たちを奪われていたのだから、これもまた仕方のないことだった。ただでさえ通常業務と復興業務の両立をしなければならないところに、遠くは西部・南部から、脱走兵となったフュリーやブレダを自分の下に復職させるといった無駄な手間がかかってしまったことはかなりの痛手だった。また人的にいえばファルマンは北の女将軍が手放してくれず、ハボックはまだ復職への目途が全く立たない、そしてなによりも事実上は自分の副官という立場に戻った中尉が形式上の所属はいまだ大総統府にあり両者を行き来しているため、慢性的な人不足であることが一番の問題だった。

 あの約束の日にホムンクルスたちや軍上層部との戦いで重傷を負った中尉は、その後軍営病院で手当てを受けてしばらく入院していたが、2週間ほど前に退院した。もう少し早い退院も打診されていたが、彼女が自宅療養のできない性質であることは容易に想像できたので、半ば無理やり病院に拘束させていたといっても過言ではない。案の定、退院したその日に登庁してきた彼女は周りを驚かせ、慌てさせた。あれだけの重傷を負っておきながら退院当日から本調子で働こうとする彼女には、予想していたこととはいえさすがの私も苦笑いを隠せなかったが、けれども彼女がいないと混乱で急激に増えた仕事が回らないことも事実で、その点では非常に有難かった。それでも彼女の体を考えて、定時に帰せるような配慮は怠らなかったが。
 そんな多忙を極めたような状態にあるから、当然中尉と二人きりで話す時間など皆無だった。勤務人口が多い上に建物の大半が損傷している中央司令部では、佐官に個人の執務室が宛がわれているわけでもなく、勤務中は常に周囲に人の目がある。病み上がりに通常勤務をしている彼女のことを考えたら、とても終業後に連れまわすことなどできなかったし、彼女を定時で帰すためには自分自身が残業しなければとても追いつかないような状況だったから、家を訪ねることもできない。彼女の休暇は通院優先なのも当然のことで、そうなると短時間でも二人きりになることなど当然できなかった。
 あのホムンクルス達との戦いは、たった数日間の出来事であったとはとても信じられないほど、いろいろなことがあった。まさか自分が彼女に銃を向けられる日が重なるとは思っていなかったことも、目の前で彼女の頸動脈を切られるなどという事態が待っていることも、命を落とす覚悟はあったとはいえ現実に起こると愕然とした。勝手に扉を開けさせられたことも、視力を落としたことも、そして賢者の石の世話になったことも然り。とにかく彼女に伝えなければならないこと、話さなければならないことはたくさんある。
 けれどもこれまでしばらくの間プライベートでの接触を極力避けてきたせいで、彼女を誘うタイミングをどうにも逃してばかりいた。プレイボーイと東方で知れ渡っていた身としては非常に情けないと思うが、彼女に関して言えば軽口にのって食事誘ってもまともに取り合ってもらえないだろうし、かといって今更生真面目な顔をして、というのもなんとも気恥かしい。結局、いわゆるプライベートでの約束は取り付けることができず、ちょうど迫っていた東部異動のための引越し準備を手伝ってもらうという公私混同のような形で、ようやく彼女を自宅に呼ぶことに成功した。考えてみれば病み上がりの人物に引越し準備を手伝ってもらうというのもおかしな話だが、彼女がそういった頼みを断るはずもないのは確信していた。

 引越し準備は口実であったが、中央に来てからそう長いこと経っていないわりに錬金術関連の書籍や資料が手のつけられない状態であったことは事実で、結局その荷造りで一日をつぶしてしまった。その間話したのは軍にいるときと大差ないような他愛もない雑談ばかりで、多少懐かしい子供の時分や東方司令部の頃などの昔話が含まれていたにせよ、その神髄にまで入り込むようなものではなかった。
 日が暮れる頃、何もない我が家のキッチンに苦笑しながら「夕食を作りますよ」と買い物に出た彼女は、やはり昔よく作っていたグヤーシュを夕食に用意してくれた。懐かしい味に思わず「うまい」とあっという間に平らげておかわりを申し出ると、彼女は目じりを下げた。てっきり手伝ってもらったお礼にどこか外で食事をご馳走するつもりでいたから、ここまで彼女の世話になってしまったことに申し訳ないと思いながら、それでもまるで夫婦のようなその状況に満足しないわけがなかった。
 食後、ソファーに座ってやはり彼女の淹れてくれたお茶を飲みながら、彼女の首の怪我について尋ねたところでようやく件の日のことについての話に至った。失明した時の状況や彼女が入院した後賢者の石をつかって取り戻したこと、今まで話すことのできなかった事柄を主に私が彼女に話し、彼女は相槌を打ちながら聞いていた。

 ふと話が途切れ、沈黙が訪れた。どちらが話出すでもなく、お互いの出方を探っているような、そんな感じだった。話は尽きたような雰囲気であったが、しかし、私はまだ一番彼女に伝えなければならないことをまったく彼女に伝えていなかった。だが、それを話し出すタイミングを掴みかねていた。
 しばらくそのまま二人とも無言でいたが、私がティカップをローテーブルにおいたのをきっかけに、彼女は「では、そろそろ」と席を立った。私はただ傍観していたが、空になったティカップにのばす彼女の腕を不意につかんだ。もう彼女を逃がすまい、そんな心境だった。
「リザ」
 名前を呼んだ。慣れない、けれども決して目新しくない呼び方に、彼女がぴくりと反応する。もう一度「リザ」と呼べば、彼女は揺れる瞳でこちらを見た。もう彼女の傍にいない生活は我慢できない、そう思うと彼女の腕を引いてソファーにもう一度座らせると、彼女を組み敷いた。彼女のことだから嫌らならばこの場から逃げるだろう。だが、彼女は私を困惑した顔で見ながらも、抵抗することはなかった。
 彼女が目を閉じた。深く息を吸い、そしてゆっくりと吐き出す。私は彼女が再び目を開けるのを待った。そして彼女は目を開けて、私をじっと見つめた。
「マスタングさん」
 それは、彼女の了解の合図だった。
 私は彼女の名前を何度も呼びながら、彼女の額から頬、耳、首、肩口へとキスを落としていった。
(2011.06.11)



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