君との5夜



ブレーキ
君への誓い
弱さ
朝も昼も夜も
トリコ
(お題:Count ten様)






ブレーキ

 めずらしく、本当にめずらしく、彼女が酔っぱらっていた。それも、一人で帰すのが危なっかしいほどに。

 明日の休暇の前に片付けなければならない物を片付けてしまわなければと、彼女と二人、残業に精を出した帰り道、遅くなったのは自分のせいだからと食事に誘ったのだった。そんなに馬鹿飲みした覚えはないが、普段より少しばかり奮発した口当たりの良いワインに、気づけば杯を重ねていた。帰ろうとお互い立ちあがったところ、一人で歩けないほどではないが、明らかに足元がおぼつかない。時々ふらふらと自分の意志とは違う方向に向かっている。
 決して酒に弱い方ではないと思う。ここのところ忙しかったから、疲れていることもあるだろう。だが、それ以上に彼女がここまで酔うのは、一緒にいる自分に気を許しているからではないかと思うと、こんな些細なことでも嬉しい。
 「護衛は私なんですぅ、一人でも平気ですぅっ!」と主張する彼女を上手い具合に説得して(語尾を伸ばすほどの酔っ払いの説得は、思ったよりも簡単だった)、私は彼女の歩みに後ろからついていく。エスコートしたりはしない。後ろからついていくだけだ。

 あれだけ断ったわりにはまんざらでもなさそうな表情を見せている彼女は、時折嬉しそうにこちらを振り向きながら歩みを進める。私がちゃんと着いてきているのか確認しているのだろう。そして、その度にふふっと声を出して笑みをこぼす。鼻歌でもまじりそうな勢いだ。
 深夜で人気の少ない通りに、カツンカツンと二人のヒールが奏でる音が響く。時折通る車のライトが明るく照らす以外は、街灯の少ない住宅街は暗い。

 そんなに後ろを振り向いているとあぶないぞ、と声をかけようと思った時、少しばかり溝のできた場所にヒールをとられたのだろう、「あ!」と声をあげて彼女がバランスを崩した。そのままヨロヨロっとして尻もちをついてしまいそうなところを、寸でのところで腕を掴んで支えてやる。そして、「ほら、一人で帰るにはあぶないだろう」と悪戯まじりに窘めると、一瞬きょとんとした顔をした後、上目づかいに睨んでくる。
 あぶないのだ、彼女が。他の男を魅了しそうで。ガードが固いように見えて、場馴れしていない分あっという間に陥落してしまいそうで。
 私ですら普段はめったに拝むことのできないような彼女の表情に、どきりとさせられるのだ。ふわりと風にのって鼻孔をくすぐる硝煙の匂いを緩和させるための香水が、彼女との距離の近さを己に示す。思わず腕を引いて、彼女を引き寄せてしまう。
 だが、その目端に巡回中の憲兵の姿が入って、すぐに私は彼女を元の位置に立たせる。暗いところでは、憲兵の制服も軍人のそれも、大差ない。その制服が、一気に現実へと戻す。彼女も私も軍人だ。軍人として共にあるためには、彼女とプライベートで一緒になるべきではない。今ここで彼女を引き寄せることは簡単だが、明日以降の関係の修復は、そう簡単なものではないだろう。

 再びきょとんとした顔をした彼女は抱きしめてしまいたいほど魅力的で愛おしいが、今はぐっとこらえる。彼女と歩む先を考えて、私は彼女を元の位置に立たせてやると、今度は彼女を先導するように、先に歩く。

 これが、私たちのいつもの形。これが、これからの先に続いていく形。
(2012.06.11)
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弱さ

 ああそういえば、と彼が口を開いたのは、終業後の執務室で大量に提出された書類の分別と確認を終え、後は事務に提出ばかりという時だった。
「今日、中央から『君の部下は上官を侮辱するのかね?』と苦言を言われたんだが」
 その苦言に、私は思い当たる節があった。おそらく先週のことだろう。中央の士官学校から、狙撃主養成のための講義に臨時講師として来てほしいと言われたのである。しかしその任期が数カ月単位に及ぶもので、これが東部の学校ならいざ知らず、中央ではとても今の仕事と並行して行えるものではないため、丁重にお断りした。
 もし臨時講師から教官に抜擢されれば、エリートコースだ。まして向こうから直々に依頼を持ってきたのだ、その道に進める可能性は高いだろう。だが、私は考える間もなく今の仕事を選んだ。中央からわざわざ東方司令部くんだりまで出向いた士官学校の事務員は、田舎中尉がそんなたいそう魅力的な誘いをあっさりと断ったことが許せなかったのだろう。ただの事務員とて、中尉風情から見れば上官にあたる。さんざん嫌味を言い放った揚句、直属の上官との関係を下品に勘ぐって、帰って行ったのである。
 そして今日その直属の上官が中央から苦言を受けたということは、おそらく中央に戻ってからさらにあることないこと報告されたに違いない。
「君は軍則を破るほど私以外の人間に立てつくような人間ではないだろうし、何かしらの理由があったのだと思うが、まあ言動には気をつけるように」
 特別なことはない、ただそう注意を促されただけだ。
 叱られたわけでもない。特別強い口調だったわけでもない。
 この件に関しては、私はどちらかといえば被害者だと思うが、その内容が理不尽なことだとは彼も分かっているのだろう、場合によっては軍則に違反することになりかねないから念のため、と告げられただけだ。

 だが、気づいたときには、ほろりと一粒の涙がこぼれていた。
「あ…」
 ぐっと唇を噛んでそこで止めようとした。しかし、涙は止まるどころか、後から後から溢れてくる。こんなことは初めてだ。泣こうと思っても泣けないことなら、いくらでもあるというのに。
 あまりにも不可解な涙に、逆に可笑しくすらなってくる。
「すまん、言い過ぎたか?」
 私の滅多に見ることのない様子に彼は少しばかりぎょっとした顔をしたが、すぐに気遣ってこちらに近寄ってきた。
「そんなことありません。おかしいですね…申し訳ありません」
 その間も全く止まる気配のない涙に、私は目元から下を手で覆い、それこそ不敬罪だと思いながらもくるりと踵を返して、「失礼します」とだけ告げると許可も得ずにすばやく廊下に出ようとした。
「待て、中尉」
 彼の声がかかり、そして腕を引かれる。
「今出て行っても、周りから興味本位で噂が立つだけだろう」
 そう言って彼がポンポンと私の頭をやさしく叩く。その温かさに、私はもう嗚咽を止めることができなかった。

 彼の言葉は、おそらくただのきっかけだ。中尉に昇格したばかりで、急激に増えた仕事に追われ、一方周りからは短期間で昇格したことに対する嫌味ばかり言われ続けていた。
そろそろ心が限界に来ていたのだろう。
 しかし忙しさにストレスを吐き出す時間もとれず、そのまま放置しておいた。それがこのザマである。
 職場では、その中でも特にこの人の前では絶対に涙を流さないと決意しながら、涙がこぼれるのはいつも彼の前だった。
 
 彼はソファーに私を座らせると、自分もその横にどかりと座り込んだ。そして腕を組んで、「疲れたから私も休む」と、目を閉じる。
 こうやって見て見ぬふりをしながら、何時間でも付き合ってくれるのが、彼だった。それは、その昔、まだ彼が父のお弟子さんだったころから変わらない。何でも抱え込んでしまう私がこっそりと弱さを出せる場所を、いつでも作ってくれるのである。

 甘えてはいけないと思いながら、私はいつもこのやさしさに甘えてしまう。今も昔も、これからもきっと。そして涙が止まった頃にかけられる「何かおいしいものでも食べて帰るか」という誘いにのって、また自分の弱さ己の中に包み込んで歩み始めるのだ。

(2012.06.14)
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朝も昼も夜も

 2100、東方司令部司令官執務室。ソファー席で相変もかわらず顔を突き合わせて、書類の確認処理を行っているのは、この部屋にお馴染みの二人だ。
 普段なら業務終了前の数十分で終わるものが、今日は溜まりに溜まっていた書類を一日で捌いたおかげで、かれこれ一時間以上もこの作業を強いられている。おまけに今日は軍議も来客も総司令官からの呼び出しも、そして事件すらもなく、執務室を出たのは本当に食事・トイレの生理的欲求を満たす時のみだった(それが当り前だというのは、この際置いておく)。仕事の鬼などと陰で言われている我が副官ですら、さすがにうんざりした様子だった。

 最後の確認作業まであと一山というところで、私は伸びをした。集中して学問や書類整理にとり組むことには苦労を感じないが (それなら何故逃亡し溜めこむのか、などという質問は受け付けない)、同じ体勢を続けていたため肩がひどく凝っていた。それを見た彼女も、ふうと一息つく。
 そこで先ほどまで張りつめていた空気が少しばかり緩和されたのを感じ、息抜きを兼ねてちょっとした悪戯心が芽生えた。
「朝も昼も夜も顔を突き合わせていて、いい加減飽きないのかね?」
 わざとらしく上官ぶった口調で悪態をつくと、彼女はさらに溜息をついた。
「そういう貴方はどうなんですか?」
 さすがに面と向かって『飽きました』とは言いにくかったのだろう、彼女は質問で返してきた。彼女らしい逃れ方だ。だから、こちらもわざと返答しにくいように返してやる。
「飽きないな。朝も昼も夜も、できれば深夜も早朝も一日中君を見ていたいくらいだ」
 ただし、これが仕事でなかったならば、の話だが。プライベートなら一日中顔を合わせていても、いや肌を合わせていても、おそらくそれ以上の幸せを見つけることは出来ないに違いない。もちろん、そんなことをしたことはないし、今後もそんな予定は一切ないのだが。
「呆れた。こんな状況で、よくそんな軽口が出てきますね」
 いつもの調子で、とばかりに彼女が大きな溜息をもう一度吐く。それはそうだろう、なぜなら私たちは別に付き合っているわけではないのだから。それでも、ただの上司部下と言えるほど単純な仕事関係の付き合いでもない。だから、ただの軽口というわけではないということも、きっと彼女だって気付いているのだろう。
 溜息ばかりついていると幸せが逃げるよ言ってやろうかと思ったが、その原因は自分だと思い当たると、さすがにそれは憚られた。
「で、君はどうなんだね?」
「私は飽きますよ」
 彼女は何の躊躇もなくそう告げた。言いにくいことではなかったのか!そこまで即答されると、さすがの私も傷つく。
 だが次の彼女の言葉に、別の意味で完全にノックアウトされた。
「できることなら、夜くらいは軍服ではなく私服がいいです」
 私は口元がニヤけるのを押しとどめることができず、思わず口に手を当てた。それではまるで…!
「君、それは最高の殺し文句だと思わないかね?」

 書類の束はあと一山。五分で最後まで終わらせて、お望みの通り私服でエスコートさせていただこうじゃないか。私は気合いを入れなおして、新たな書類を取り上げた。

(2012.06.28)
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トリコ

 連日の深夜までの残業で、タフな上官の顔にも疲れが見え始めていた。せめて今日は定時とは言わなくとも早めに上がってもらおうと考えていたが、やはり難しかったか。19時半を過ぎて、未だ開く気配のない司令官執務室の扉を見遣り、一区切りついた自身の書類を整理しながら、私ははぁっと息を吐く。
 時間的には夕食に最適な頃合い。さすがにお腹が空いてくる時間だろうかと、昼休憩のうちにこっそり買っておいた夜食用のベーグルをカバンの中から取り出す。今日はこれが役に立たなければいいと思っていたのに。そして休憩を促すために、執務室の前に立って扉をノックした。
 しかし、2度、3度と叩いても返事は返ってこない。まさか逃げ出したのではないだろうか、そんな嫌な予感がして、私は返事を待たずに扉を勢いよく開けた。

 だが目に入ったのは…抜け殻ではなく、突っ伏した上官の姿。まさか、襲撃された?隣室にずっと控えていて、全く気付かなかったことに、そしてノックがないことに警戒もせずに無防備に入室してしまったことに、自己嫌悪する。すばやく銃を身構えながら上官の方に近づき、付近の様子を伺う。荒らされたり侵入されたりといった跡はない。遠方からの攻撃も考えたが、そう言った感じではない。
「大佐!」
 いささか大きめな声で大佐を揺すり起こそうとして、触れたところで私は呆れた。
「…寝てる」
 私が揺すったことにも全く気付かないほど、いびきをかいて熟睡していた。いくら疲れているとはいえ、20時代だ。いくらなんでも、就寝の時間には早すぎるだろう。

「まあ、でも」
 今までの疲労を考えたら仕方ないかとも思う。だからこそ、今日こそは早く帰ってもらおうと思っていたのだ。
 とりあえず起こすにしても、このままでは冷えてしまいかねない。私はまず銃をホルダーにしまうと、一旦部屋を辞して、自席から普段自分が膝かけとして使っているブランケットを取りに行く。そしてまた音を立てないように静かに執務室に戻ると、そっと彼の肩にかけてやった。
 ほんの少しだけ身じろいだものの、彼は相変わらず穏やかな寝息を立てて寝ている。穏やかに目を閉じて眠っている顔は、普段から童顔と言われているその容姿よりもさらに幼く見える。起きているときはその心の内が表情に現れることも多く、また相手に読みとらせないようにしているときは対人用の笑顔を張り付けているので、そこまで幼くは見えない。仲間内にしか見せないような本音を出すときが、やはり一番幼く見えるときだろう。そう考えると、自分に対しては幼馴染の気安さか、他の仲間よりもさらに無防備な姿を見せてくれているんじゃないかという自覚はある。きっと今もそんな時間に違いない。
 そんなことを考えていると、何の夢を見ているのか、穏やかだった顔が急に眉間にしわを寄せてしかめ面になった。私は起きてしまうのではないかと胸中で慌てたが、しかしそれは一瞬で、再び穏やかな表情に戻りホッとする。

 そこで初めて私は、目を離せなくなっていることに気付いた。こちらのことを意識しているわけでもないのに、無防備に眠る姿が、私の視線を奪う。そして柔らかそうな黒髪に思わず触れてしまいそうになって…そこで自分の行動に気付いて慌てて手を引っ込める。
 ―――自分で思っているよりも重傷ね。
 自覚がないとは言わないが、彼の虜になってから相当長い年月が過ぎた。それでも未だ飽き足らない自分に、自嘲する。
 ―――でも。
 きっとこの先も、オフィシャルでもプライベートでも彼の虜であることは、変わることはないだろう。変な自身だと思いながらも、一度引いた手をもう一度出して、彼の髪をそっと撫でる。見た目にたがわず柔らかいそれは、私の欲求を充分満足させるものであった。

「コーヒーでも淹れてこようかしらね」
 目覚めにはコーヒーが必要よね、とわざらしく声を出してここから立ち去るために自分に宣言する。そして名残惜しさに私は眠ったままの大佐の髪に愛犬にするようにそっとキスを落とすと、給湯室に向かった。


(2012.12.18)
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