Etwas Kleines

 朝の病院はさながら満員電車のようであった。軍営の病院は出勤前に受診する人が多く、軍服を纏ったいかつい男達がそこら中に溢れかえっている。さらに高度な技術を持つこの病院には軍関係者の家族や一般人も通院するものだから、人が多いのは当然のこと。リザはその迫ってくるような雰囲気に気圧されながらも、なんとか中へと足を踏み入れた。
 父を失い、軍人になったその弟子を追って士官学校に入学してから一ヶ月。これまでも学業と家事の両立で決して楽な生活を送っていたわけではないが、住み慣れた家を離れ慣れない寮の環境や学生生活に、リザはニヶ月目にして早くも体調を崩し倒れてしまったのだ。今日の通院は一週間後の経過観察とはいえ具合が万全でないことに加え、田舎育ちのリザはこのように大きな病院に一人で来るのは初めてであり、しかも軍人の多いこの病院に対して引け目を感じてしまうのも仕方のないことであった。

 ごった返す人をかき分けようやく見えた受付の女性に、リザは恐る恐る声をかけた。
「あの…再診は…」
「何?」
 受付の女性事務官はリザが士官学校の制服を着ていることを認めると、さも迷惑そうに返してきた。その勢いにリザは一瞬怯んだが、このまま引き下がっては何のために授業を休んでここにきたのかわからないと、深呼吸を一つしてもう一度彼女に話し掛ける。
「あの、再診を受けるのは初めてなんですけれど、どうすれば…」
「は?再診で初めてって、どういうこと?」
 リザの曖昧な質問に、女性はさらに怪訝な顔をした。
「初診じゃないの?」
「あ、違うんです。再診なんですけど…」
 説明しようにも、今のリザは動揺して適切な言葉を見出すことが出来なかった。どうしよう、と焦り始めたときだった。

「ちょっと、こっち!」
 うしろから腕をぐいと引かれたのだ。あっという間に受付から人ごみを抜けて、記入用カウンターのところに連れて行かれる。驚いて後ろを向くと、手を引いたのは一人の女性士官だった。
「再診はこの紙に書いて、診察カードと一緒に出すの」
 丁寧に、しかしはきはきと教えてくれる女性士官に対して、リザはしばらくぼーっと見つめることしか出来なかった。
「ほら、これ!」
「あ、はい!」
 紙を無理やり渡されてようやくリザは自分がとまっていたことに気づき、慌てて指示されたとおりに用紙に必要事項を記入する。
「書けたら、あそこの棚に出してきて」
 言われたとおりに提出すると、リザはほうっと息を一つ吐き、また女性仕官の元に戻った。
「あの、ありがとうございました、助かりました。前回は医務室の教官に付き添ってもらったので、受付は初めてだったんです」
 リザが礼を言うと、今までの軍人らしい態度から打って変わって、彼女はにこりと笑んだ。
「いいのよ、朝のここは戦場だからね。受付は一般人のことでいっぱいいっぱいだから、軍人が話し掛けるのを嫌がるのよ」
 そう説明する彼女は、リザにはとても輝いて見えた。事務官に女性は多いけれど、軍人――それも士官ともなると女性の割合はごく僅かになる。しかし、彼女のきびきびとしたその姿勢や物言いは、そこいらの男性軍人よりもよほど格好よく感じられた。
「あなた、一年生?慣れるまでは大変でしょうけれど、頑張ってね。女性は少ないし肩身狭いけど、それでも立派に卒業して軍人になっている人は何人もいるから」
 リザがぺこりとお辞儀をすると、彼女は笑って敬礼で返した。

「あの!」
 じゃあね、と踵を返した彼女にもう一度お礼を言いたくて、リザはその女性士官をなんとか引き止めた。
「なに?」
「本当にありがとうございました」
 リザの言葉に優しく微笑んだ黒髪に切れ長の目を持つ女性士官の姿が、なんとなく彼の人の面影と重なった。
「いつかあなたと軍で会えるのを楽しみにしているわ」
 去っていく女性を見送りながら、入学以来ようやく見出した優しさにリザはほんのり心が温かくなったような気がした。


(2008.06.27)

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実際に見た光景をネタにしてしまいました…。ごめんなさい、(たぶん)看護学校の方。
ここに出てきた女性士官は、なんとなくロス少尉をイメージして書きました。
士官学校生活の最初の頃は、こんな戸惑いや憧れもあったらかわいいな、と。
ちなみにリザに軍で出会う前に結婚退職してたりしてたら面白いなぁと思っています(笑)
タイトルはJ.strauss『Etwas Kleines(何か小さなもの)』より。
でも曲は知らないの。検索しても音源は出てきませんでした(涙)マイナーどころ使いすぎ?
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