渡しそびれた贈り物 2

 バレンタインの日以降、理沙の周りではこれといって特別なことが起こるでもなく、別れの季節が近づくのを感じながらもいつも通りの平凡な日々が過ぎていった。そうしてほんの少しの暖かさを感じるようになった3月初めの土曜日、理沙は同級生と共に卒業式を迎えた。
 大学附属の理沙の高校ではエスカレーター式に進学する生徒が大半ではあるが、卒業式にはやはりそれなりに寂しさを覚えるものである。式の最中も、すすり泣く声がそこかしこから聞こえてきた。理沙もまた卒業式独特の厳かな雰囲気と馴染んだ校舎や制服との別れに、涙を浮かべもした。
 式が終わり、花束を抱えた後輩達の相手をしながら体育館からホームルームに戻る途中で、同級生たちのホワイトデーに関するくだらないおしゃべりが理沙の耳に入った。その中には増田からのお返しが国語教師らしく近代文学の文庫本で、3年生には卒業式に間に合うようにそれぞれの自宅に送られてきたというものもあった。他にも誰々先生は、誰々君は・・・などと盛り上がる同級生達を目端に留めながら、理沙は小さくため息をついた。残念ながら理沙の手元にそれらしき荷物は届いていなかった。

 何を期待していたのだろう、と今更ながら理沙は思う。確かにあのバレンタインの日、理沙の用意したチョコレートは増田に元に渡った。二人きりの部室で、それも逃げた理沙を増田はわざわざ探しに来たのである。しかし、彼はただ「渡す前に逃げるな」と言っただけだ。その言葉になにか深い意味があるのではないかと勝手に思い淡い期待を抱いたが、もしかしたら彼は教師として単純に「決めたことは諦めずに最後まで実行する」ということを教えたかっただけなのかもしれない。第一、いくら渡しそびれたチョコレートが目的の増田の口に入ったとはいえ、あれではバレンタインの贈り物だとは認識されず、ただのお裾分けだと思われていなくてもおかしくないのである。
 高校生活最後の日に他人の話の盗み聞きによって思い知らされた「失恋」という事実を、理沙は淡々と受け止めることしか出来なかった。

 ホームルームでの事務的なことと担任の挨拶が終わると、しばらくはクラスメイトたちも教室内でわいわいとにぎやかにしていたが、やがて各々記念の写真を撮ったり謝恩会の会場へと移動したりするために教室を出始めた。理沙もまた部活仲間たちに弓道場へ行こうと誘われたが、しかし理沙は動くことができなかった。この教室を出てしまったが最後、増田との繋がりが何もなくなってしまうような気がしたからである。理沙は誰もいなくなった教室に一人机に突っ伏したまま、涙を流すでもなく、ただボーっと時間が過ぎるのを感じていた。

 教室に一人になってどのくらいたっただろうか。理沙はふと人の気配を感じて少しだけ顔を上げた。クラスメイトが呼びにきたのかと思ったが、目に入ったのは学生服ではなく、やや細身のブラックスーツ。
「なんだ、こんなところにいたのか。弓道場でみんなが探してたぞ」
 降り注いできたのは、慣れ親しんだ増田の声だった。
 理沙は自分が今こうしている理由が理由だけにどうにもまっすぐ増田のことを見ることができず、俯いたまま「そうですか、ありがとうございます」と席を立とうとした。しかしそれより先に増田が前の席に腰を降ろしたため、なんとなく立つタイミングを失ってしまった。
「何考えてたんだ?」
 増田が問うのも当然である、明らかに自分の行動はおかしい。それはもちろん分かっているのだが、だからといって本当のことを告げられるわけもなく、理沙は返答に困った。しばらく考えた後、理沙は「3年間の思い出が詰まったこの学校から離れがたくて」ともっともらしい理由を口にし、あながち間違ってはいないと自分でも納得した。
 しかし、そんな理沙に対して増田はいかにも軽く答える。
「なんだ、いつも理性的で前向きな鷹目でもそんな思い出に浸るようなこともあるんだな」
「私だって感傷的になることくらいあります!」
 せっかく真面目に答えを出したというのにからかうように返された理沙は、頬を膨らませて再び机に突っ伏した。
「すまん、悪かった悪かった」
 笑いながらぐわしぐわしと頭を撫でられ、理沙は「人のことを子ども扱いして!」と拗ねていたが、増田が「そんなことはないんだがな…」と苦笑しながら呟いたのを耳に捉えると、ほんの少しだけ嬉しく思った。
 そしてその頭を力強く撫でる手はグチャグチャになった髪を梳くような優しい動きへと変化し、理沙は落ち着かない気分になった。異性にこんな風に頭を撫でられた経験など、理沙にはない。心拍数は上がるばかり、失恋してもなおその一言ひとことに一喜一憂させられ、自分を振り回してばかりの目の前の男を、理沙はすこし恨めしく思った。
 やがてその心地よい手がそっと離れていくと、ほっとする同時に名残惜しいとも感じていた。
 それからしばらく沈黙が続いた。なんとも居心地の悪い時間が流れる。
「先生、私も弓道場に行きますね」
 理沙が耐え切れず再び立ち上がりかけたとき、それを阻むように増田が理沙の腕を掴んで「なぁ」と口を開いた。
 増田がそのままの状態で言いよどんだので、理沙は不思議に思って増田を見た。増田は今までのふざけた様子とは打って変わり、その表情は真剣だった。
「次の土曜、二人でケーキでも食いに行かないか」
 理沙の驚いた顔に、ああすまん、と増田は慌てて掴んだ手を離し「もちろん暇で気が向いたらでいいんだ」と付け加えた。だが、理沙は腕をつかまれたことよりたった今発せられた言葉のほうに気をとられており、いつもならすんなりと出てくる気の利いた返答どころか声を発することすらできなかった。
「この間のバレンタインのお礼。手作りチョコ、あれうまかった。ありがとう」
 目線を少しそらして言いにくそうに続ける増田に、理沙は涙が出そうになった。いつも女の子たちにへらへらと愛想を振り撒いているくせに、どうして今この人はこんなに真面目で困ったような顔をしているんだろう。ただのチョコレートのお礼を、なぜそんな言いにくそうにするのだろう。そんな表情をされたら、今度こそ本当に期待してしまうではないか!
 理沙は溢れだす感情を自覚しながらも涙をぐっとこらえると、いかにもそんなの普通のことというような素振りで応えた。
「先生こそ、あっちこっちで別の予定をいれないでくださいね」

 外はまだ寒く、桜のつぼみもまだまだ青く硬かったが、携帯アドレスの走り書きされた名刺を握り締めて弓道場に走っていく理沙の頬は、ほんのりと桜色に染まっていた。


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今年(2009年)のホワイトデーは土曜日ですよ、というお話。
結局ぎりぎりになってしまいました(涙)
ちなみに近代文学小説を送ってきたお話は、経験談。私は「紀ノ川」をいただきました。 こちらとしてはお世話になっている先生にからかい半分であげたんですが、先生も大変よね〜。
(2009.03.14)

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