衝動買い
イーストシティの百貨店のショーウィンドウに飾られたワンピースを試着したのは、衝動的な欲求からだった。そのときの私はどうしようもなくムシャクシャとしていた。どうにかして気分を晴らしたかった、ただそれだけの理由だった。 昨夕、夜勤のため日勤の者と交代する形で出勤した私は、たまたま東方司令部を訪れていたイーストシティでは少々名の知れた民間人の男に、軍人であることを馬鹿にされた。もしそれが私個人に向けてのものであったならば、ここまで頭にくることはなかったのかもしれない。だが、彼は明らかに女性軍人そのものを軽蔑していた。『軍人などしてなければ、かわいらしくも見えるのに』『ちょっと他人より優位な軍人だからと偉そうな顔しやがって』『男と対等だとでも思っているのか』『軍人など男性がやっていれば良い』云々。 確かに民間の一般の男から見れば、女性軍人など生意気な女に見えるのかもしれない。いや、たとえ軍人であっても同じように見ている者は多い。だから、似たような言葉はこれまでだって何度もかけられてきた。そのたびに男社会の宿命だと受け入れてきたはずだ。だが、残念なことに彼の妻は軍を退役した女性であった。女性軍人というものに理解のあるはずのその男の口から出たとき、私はカーッと頭に血が上って、眩暈を覚えたのである。 腸が煮えくりかえって、居ても立ってもいられなかった。通常勤務ならば帰りがけに適当な店に入り、アルコールを浴びるように飲んで気分をごまかしていただろうが、あいにく夜勤明け、昼間からアルコールを摂取するのはさすがに気が引けた。仕方なく買い物で発散させようと、百貨店に足を向けたである。 ショーウィンドウに飾られていたのは、淡いピンクのワンピースドレスだった。パフ・スリーブの袖にウエストには太めのリボン、そしてペチコートでふわりと広がったスカート。良家のお嬢様というのが似合いそうなイメージのそのワンピースドレスは、普段の自分ならまず目に留めないようなデザインである。いつもの印象との違いに少しだけ躊躇したが、それよりもイライラした気持ちを発散させたいほうが強く、それを試着させてもらえるように店員に頼んだ。そのときの私は比較的かっちりとした職業婦人の格好だったから、似合わぬ選択に少々恥ずかしかった。 試着室で着替えを済ますと、鏡の前に立って自身を改めて見る。こんな鮮やかでふんわりとしたワンピースを着たのは、ごく幼少期、母がまだ存命だった頃以来だった。筋肉質の私の体にはこういうデザインは似合わないだろう、どうぜそのまま返品して帰るに違いないと思っていたのに、意外にもそのワンピースドレスは私の体型に合っていた。懸念していたパフ・スリーブも、難なく入った。自分で言うのもなんだが、まんざらでもないと思う。店員も驚いたように「まるで誂えたように合っていらっしゃいますね」だとか「綺麗なブロンドの御髪でいらっしゃるから、こういった淡いお色がとてもお似合いですわ」などと誉め言葉を並べ立て、しまいには「うちの息子のお嫁さんにしたいくらいだわ!」などと言い出した。もちろん売る側の人間は買わせたい一心だということは承知の上だが、話半分だとしても誉め言葉は素直に嬉しかった。 慣れない足元のふわりとした感覚と、首周りがすこし大きめに開いているのが落ち着かなかったが、店員が「こちらをお召しになってはいかがでしょう?」と白いレースのボレロを持ってきて羽織らせてくれたので、背の心配はなくなった。 そうして、どこに着て行く予定があるというわけでもないのに、私はそのまま少々値の張るそれらを簡単に購入してしまった。幸い、といっていいものなのか、今まで忙しくて給料を使う時間もなかったから、そのくらいの支払いはまったく問題なかった。ついでにその服に合う靴と日傘も購入し、さらには店員に巻き髪にしたほうが似合うと薦められて、調子にのって百貨店内の美容室でヘアセットとメイクも頼んでしまった。 そうこうしているうちに、百貨店を出た時にはすでに日が傾き始めていた。ショーウィンドウに映る自分の姿を見てずいぶんと馬鹿げたことをしてしまったと思ったが、行く先々で『よくお似合いですね』『なんてすてきなお嬢様なんでしょう』と言われ、また自分でもまんざらこういう格好が似合わないわけではないのだと思ったら、少し気分が晴れた。 せっかくここまで揃えたのだからもう少し外をぶらぶらして行こうと思ったが、先ほどまで着ていた服を包んでもらったので荷物が多くなってしまい、その上履きなれない靴の歩きにくさに辟易した。前に進みたくとも思うように進まない。考えてみれば本当のお嬢様ならば、これだけの買い物をするときに一人で出歩くことなどないだろう。おまけに妙に人の視線を感じる。なんとなく場違いな気がして居心地悪く、今まで浮かれていた自分が急に恨めしくなった。 だから、不意に「やあ、お嬢さん」と掛けられた声に、少しだけホッとしたのは仕方ないだろう。その相手が誰でも、たとえそれがナンパ目的だとしても、救いの手が差し延べられたように感じられたのだから。 だが、それも一瞬のことだった。なにしろ振り向いた先にいたのは、女癖が悪いと軍内で大評判の、見慣れた上官だったのだから。 「お荷物が多くて大変そうですね、お手伝いしましょうか」 とってつけたような笑顔で手を差し出す。それも軍服で、少し離れたところに金髪長身の護衛を侍らせながら。なぜこんなところにいるのか、なぜ勤務時間中だというのにそのような格好で気安く女性に声をかけているのか。声で気付かなかったことを後悔したが、それほど自分が浮き沈みに忙しかったのだと思うと情けない。 「結構です。自分で持てますから」 踵を返して歩きだそうとした。だがその荷物はすでにしっかりと彼に掴まれており、前に進むことができなかった。 「履き慣れない靴でその荷物では、大変でしょう?」 笑顔で失礼なことをズバリと言い当てられて、ムッとする。上官を睨みつけると、彼は私に顔を寄せて小声で話し掛けてくる。 「そんな格好をした女性が一人で歩くもんじゃない。下心丸出しの男達が皆、君に注目しているのがわからないのか?」 軽く叱咤されて周りを見回すと、たしかにこのやり取りの行方を見守っている男性が幾人か見えた。なるほど先ほどから感じていた視線は、これだったのか。場違いだったというのは見当違いだったのかもしれない。 「どんなに軍人として鍛えていたって、君は女性だ。そういう格好をしていれば、立派な良家のお嬢様に見えるんだぞ」 「え?」 驚いて彼の顔を見上げた。よくよく見なければ私だとわからないくらいだと思っていたのに、彼には遠目で見破られていということか。 「それでなくても、注目の的だというのに」 ぶつぶつと言いながら彼は力が抜けた私の手から荷物をとりあげると、私の手をとり自身の左腕に絡ませる。 「さて、お嬢さん。どうぞ、ご自宅までお送りしましょう」 先ほどの厳しい口調から一転してにこりと体裁よく笑うと、「おい、ハボック!」と、気を利かせてかあるいは関わりたくなかったのか、少し離れた場所に控えていた護衛に声をかけた。 「はいはい、なんスかー?」 「こちらのお嬢さんをご自宅まで送りするから、お前司令部に戻って直帰すると伝えてくれ」 「はぁ?また懲りずにナンパッスか?いいかげんにしてくださいよ、中尉に怒られますよ・・・・・・って、ひょっとして中尉?」 大佐に隠れるようにしている私の姿を見て驚くハボック少尉に、居たたまれなくなった私は思わず俯く。 「ハボック、声がデカイ」 「びっくりした。しかし、キレイッスね。全然気づきませんでしたよ。いつもそういう格好していればいいのに」 「いいからお前は、さっさと戻れ」 大佐に邪険に扱われた少尉には申し訳ないが、今は自分が軍人であることを周りに知られたくなかった。それでも少尉の素直な褒め言葉は嬉しかった。 「昨夜のことは聞いた。憂さ晴らししたかったのはわかるが、頼むからあんまり心配かけないでくれ」 帰る道すがら、彼は言った。 「衝動買いなんて、そんなに心配するようなことじゃないでしょうに」 私は不思議に思ったが、彼の正大な溜息を聞いて、それ以上追求するのは止めた。 結局私はこの人には敵わない。こんな格好をするのはこれが最初で最後かもしれないと思うと、少しだけもったいなく思えて腕に力をこめた。 (2011.10.14) -- 眠っていたSSを引っ張り出してきました。 |