clair de lune

 それは、水面に映る月のごとく。一瞬にして目を奪われた。

 暑気ばらいと称して、部下達と街の居酒屋に繰り出した夜。店の前にある噴水池の前で部下達と他愛もない雑談をしながら、会計を任せた部下が出てくるのを待っていた。
 時間が時間だけに人影もなく、噴水もとまり時折吹く風によって波打つ程度で池は静かそのもの。その池の端に腰を下ろし、あまりにも空が明るいのでふと見上げると、見事なまでの満月がそこにあった。
「ほう、今夜は月が綺麗だな」
 各々が空を見上げ、そしてその美しさに見とれる。
「月といえば、水面に映る月もまた格別だと聞いたことがありますね」
 博学な部下の言葉でその池の静かな水面に視線を移したとき、それは何気なく私の目に入り、そして目をそらす自由を私から奪ったのだ。

 月に照らされて流れるように金に光る髪。
 酒が入り、ほんのりと紅く染まった白い肌。
 規律正しい職場から離れているせいだろうか、いつもより柔らかい表情。
 風が吹く度にそれがふわりと揺れ、やがてまた静けさを取り戻す。
 それは月などとは比べ物にならないくらいの美しさで、魅入ってしまうには充分だった。

「大佐、どうかなさいましたか?」
 突然黙り込んでしまった私を不審に思ったのであろうその影の主に声をかけられ、はっと我に返った。
「い、いや、なんでもない。ちょっと月に魅入っていただけだ」
 取り繕いながら慌てて目をそらす。顔が熱い。いったいどのくらいの時間、見とれていたのだろうか。不思議そうに小首をかしげる彼女の顔を、まともに見ることができない。
「美しいものを見慣れている大佐に魅入られるなんて、月もずいぶんと幸せなことですね」
 他の部下がからかうように言う。いつもなら発火布で脅していることだろうが、しかし今はもうそんなことはどうでも良かった。それより先程の姿が頭に焼き付いて離れない。動悸が止まらない。

「ほら、会計係が出てきた。そろそろ行くぞ」
 会計を任せていた部下が戻ってきたことをいいことに誤魔化すように立ち上がると、先陣を切って歩き出した。
 誰にも悟られないように。顔を見られないように。

 恋に落ちた瞬間だった。


(2007.08.20)
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ドビュッシー ベルガマスク組曲より「月の光」


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