Gigue

「わっかんねぇよな」
 昼食をいつもより早めに終えたハボックとブレダは、ごった返す食堂に居心地の悪さを感じてオフィスに戻った。二人以外誰もいない執務室はしんとしていて、ハボックの呟きがやけに響いたが、慣れたことなのかブレダは「あ?」と返しただけだった。
「何でお互い想いあってるのに、それを抑え込もうとするんだ?」
 窓際でタバコに火をつけながら続けるハボックに、またそれか、とブレダは溜息をつく。
「そりゃ、あの二人にはあの二人の事情があるんだろ?」
「それが、わかんねぇんだよ」
 何の興味も示さないブレダにハボックは苛立って、向き直った。
「確かに、独身佐官が副官とデキてました、なんていいスキャンダルだけどよ。だけど出会いなんてどこでだって起こり得るだろ?それがたまたま職場だっただけで」
 運命の出会いはいつあるかわからない、というのがハボックの持論だった。同じ学校に通っていた、近所だった、よく行く店で意気投合した――などと同様に、職場が一緒だったというのは、むしろ街中で一目惚れから始まる出会いよりははるかに可能性が高いはずである。現にハボックやブレダ、そして当のマスタングだって、どこの受付の子がかわいいなどと盛り上がっては彼女らに声をかけている。例えばそこから発展して付き合って結婚したとして、それはただの職場恋愛ないしは職場結婚であり、それに対して誰も文句をいうものなどいない。むしろ「すてきな出会いがあってよかったですね」と祝福されるだけである。
しかし彼らは、端から見ても明らかなくらいお互い想いあっているにもかかわらず、付き合っている素振りなど見せたことがなかった。それどころか、二人ともその想いを自分の中に閉じ込めようとしているように見えた。そしてそれは、部下の間では……少なくとも腹心の部下の間では見て見ぬ振りが暗黙の了解となっていたが、ハボックにはそれが納得できなかった。なぜ上官とその副官ではダメなのか。たとえスキャンダルになろうとも、あの上官二人ならいくらだって逃れる方法がありそうなものである。それなのになぜここまで頑なに感情を殺す必要があるのだろうか。
「逆なんじゃねぇか?」
 ブレダが放った一言を、ハボックはとっさに理解できなかった。
「逆?」
「あの二人、イシュバールの頃から一緒だったんだろ?戦争時代からお互い想いを募らせていて、戦争が終わったから当時気に入っていた女性を副官にしました、だとしたら、それはまずいんじゃねぇ?」
 出会いは戦場で。戦争終結で彼女と離れることになったとき、引き止める方法は副官にすることだった。もしそうだとしたら、ただ単純に『英雄』という名の職権乱用である。
「まあ、あの二人見てると、それだけじゃないような気もするけどな。大方、戦争で大量殺人をしておいて自分達だけ幸せになるなんてそんなことはできません、なんてところじゃねぇの?」
 興味のない素振りは見せるものの、やはり気になるのはブレダも同じで。上官二人……とくに見目麗しく異常なまでに忠実な副官殿には、そんなくだらない束縛などに囚われず今まで苦労した分ぜひとも幸せになってもらいたい、その思いはハボックと同様であった。
「お前みたいに『出会いはどこでだって起こり得るものだ』なんて単純じゃねぇんだよ、あの二人は。ま、俺らがどうこうしなくたって、いずれくっつくときにはくっつくさ」
 だんだん騒がしくなってきた廊下に就業時刻の手前を示す時計を確認したブレダは、伸びをひとつして就業準備に取り掛かる。
「やっぱり俺にはわかんねぇよ」
 ブレダにつられてハボックもタバコの火を灰皿でもみ消しながら、呟いた。

(2008.04.17)

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二人ともお世話好き。
タイトルはバッハ『無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調』終曲Gigueより。
Gigue(ジーグ)とは8分の6拍子または8分の9拍子の舞曲で、イギリスやアイルランドの民俗的な踊りの形式の一つ。 バロック組曲の終曲にしばしば置かれ、急速なテンポで演奏される。
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