春への憧れ

 溜まっていた書類の処理が一段落したロイは、副官が淹れてくれたコーヒーを手に東方司令部の屋上に出た。蒼い空に向かって伸びをひとつ、そしてイーストシティの街並みを見渡す。建物の茶と自然の緑、心地よい風にのって流れてくるどこかの鐘の音、小鳥の囀る声。今日は休日、街中に出ればにぎやかなのだろうが、ここは静かであった。

「大佐?」
 大自然の音色に混じって聴こえてきたのは、カチャというドアノブの音と、聞きなれた声。振り向くと、リザが顔を出している。
「ここにいらっしゃったんですね。先程淹れたコーヒーもなかったので、どちらにいらしたのかと思ったら」
「ああ、すまん。いや、彼らのことが気になってね」
 司令部が静かなのは、ただ休日だからというだけではなかった。今日はハボック隊の下士官と受付の女性事務官の結婚披露パーティが行われる日で、司令部のほとんどの人が招かれていたからである。そのため現在司令部にいるのは、司令部に勤務している者の中でもほんの一握りであった。
「それなら大佐も出席なさればよかったのに」
「グラマン将軍が出席なさったからね。司令官が一人もいなくなったら困るだろう?」
 通常の企業と違って軍には定休日がないため、常に勤務者がいなければ成り立たない。そのため、こうしたお祝いの席でもどうしても留守番組ができてしまうのは避けて通れない。
「君こそ、行かなくて良かったのか?」
「私は彼らと特別親しかったわけではありませんし、私が出勤すれば、もっと彼らと親しい人が出席できるでしょう?」
 リザは笑顔で答えながらロイのそばに歩み寄る。そしてロイの隣でやはり街を見下ろすと、お天気が良くて気持ちがいいですね、と言った。
「今日のようなお天気の良い日はガーデンパーティには最適ですね。新婦はもともと綺麗ですし、ドレスもだいぶ凝って選んでいたようですから、きっと今ごろすてきな花嫁姿を披露しているんでしょうね」
 めずらしく勤務中に屋上にいることを咎めないのは、心地良い天気のせいか、それとも今日が祝いの日だからか。理由はともかく機嫌のよいリザを眺めながら、ロイはふと思ったことを口にした。
「君も、やっぱりウエディングドレスに憧れるかい?」

 とくに深い意味もなく出た言葉だった。彼女も最初は笑顔で答えた。
「もちろん、小さな頃は憧れていましたよ。いつかは私もお嫁さんになって、すてきなドレスを着るんだって。街で結婚式があったりすると友達とわざわざお嫁さんを見に行ったり、真っ白なシーツ被ってお嫁さんごっこをして遊んだりしたものですよ。でも、」
 リザの表情が少し淋しさを含んだのを、ロイは見逃さなかった。
「父の錬金術を担ったとき、諦めました」
 少女のささやかな夢は、叶わぬものとなった。彼女の背には父の秘伝が刻まれ、そして自ら望んで火傷を負い、人に見せることの憚られる身体になったのである。
「そうか…」
 その背を自分に受け継ぐために、小さな夢を諦めざるを得なかった。例えそれがロイの意思ではなかったとしても、自分が彼女の未来の可能性を一つ奪ってしまったことには変わりない。
 ロイは返す言葉が見つからなかった。
 二人はしばらく黙ったまま街を眺めていた。小鳥の囀る声が響く。司令部の屋上は、本当に静かだった。

 しばらくしてロイはなにやら決心したようにウンと頷くと、ポツリと呟いた。
「いつか叶えてやらないとな」
「え?」
 すみません、声が小さくて聞き取れませんでしたと聞き返すリザに、ロイはにっこりと笑顔を返すと、こう言った。
「いや…ただの独り言だ」


(2008.06.14改)

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2008年ロイアイの日記念。
タイトルはモーツアルト『春の憧れ(Sehnsucht nach dem Fruhling)』より。
歌曲らしいんですが、日本ではピアノ曲で有名です。
タイトルは知らなかったけど、ピアノ習っている人ならきっと聞いたことある局だと思う。
ちなみに、出来上がったのは一応6/11の23:50くらいでしたが、
あまりの出来のひどさに手を加えました(苦笑)
もっと早く書けということですな。
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