3 Monate alt--3ヶ月--

 今まで気にしたこともなかったが、赤ん坊連れの母親というのは声を掛けやすいのだろうか。外に出るたび、小さな女の子から年配の紳士まで実に幅広い層の人々に声を掛けられる。あらかわいいわね、今何ヶ月なの、男の子かしら・・・等々、中には母乳ちゃんと出てるの?だとか、次は女の子がいいわねなどと、余計なお世話と思わず苦笑してしまうような言葉をかけてくるおばさま、おばあさま方も少なくない。今まで軍服を着ていることが多かったせいか、街中で声をかけてくるのは気さくな商店の人か、もしくは明らかに下心のありそうな男性くらいしかいなかったので、新鮮な気分である。

 今日もまた、赤ん坊と愛犬を連れて散歩に出かけた公園で、小さな女の子が近寄ってきた。聞くと、彼女にも一歳に満たない弟がいるらしい。
「赤ちゃんかわいいね。あやしてもいい?」
 聞くがはやいか、女の子は赤ん坊の手を取りながら子守唄を歌い始めた。

 ルルルー ルルールー ルルルールール ルールー…

 それは誰でも知っているような、どこにでもある子守唄。彼女は、慣れた手つきで赤ん坊をあやしながら、歌う。
 それを心地よく聴くうちに、何か引っかかるものを感じた。どこかで聴いたことがある気がするのだ。しかし、それがどこなのか、誰が歌っていたのか、皆目見当がつかない。正直、こんな誰でも知っている唄、どこでも聴いたことがあってもおかしくない。それなのにこの唄に対して特別な何かがあるような気がしてならなかった。
「どうしたの?」
 考え込んでしまった私に、女の子が不思議そうな顔で見る。
「なんでもないわ。あやしてくれて、どうもありがとう」
 遠くで呼ぶ母親に振り返って手を振り、「じゃあね。また会えるといいね」と去っていく女の子を笑顔で見送りながら、私はその『何か』を懸命に思い出そうとしたが、結局思い出すことはできなかった。

 自宅に戻ってからも、その唄が気になって仕方がなかった。
「ほう珍しいな、子守唄か」
 仕事から帰宅した夫がそう指摘したくらいだから、知らず知らずのうちに歌っていたのだろう。
「懐かしいな。昔よく聞いた唄だ」
 そういうと、彼は機嫌良く歌いだした。

 ルルルー ルルールー ルルルールール ルールー…

 男親の子守唄もなかなか心地よいものね、などと思いながら何気なくその唄を聴いていたとき、ふと、頭に暗い部屋とベッドと脇に座る男性の姿が思い浮かんだ。大きな手で、私の手を包み込んで、馴れない子守唄を何度も何度も繰り返し繰り返し歌う男性……それは父の姿だった。

 そうだ、父は母が亡くなって何日も眠れぬ夜を過ごした私を、ベッドに寝かしつけて馴れない子守唄――おそらく母が良く歌っていたのだろう、この子守唄を何度も何度も繰り返し歌ってくれたのだ。もうそんな小さな子供じゃないのにとか、下手なんだからやめればいいのになどと思いながらも、その声を聴くとなんだか安心して少しずつ眠れるようになっていった。半年くらいそんなことが続き、そのうち私は父がいなくても父の子守唄を思い浮かべながら眠れるようになったのである。
 父にしてみれば、当時の私はまだまだ赤ん坊と同じくらい小さな子供で、母を亡くし意気消沈している娘をなんとか支えようとしたのだろう。それまで私のことを母に任せきりだった父は、突然の母の死去にきっと悲しむより先に途方にくれたに違いない。もし父が本当に私のことをなんとも思っていなかったならば、研究に没頭するのに邪魔な私をどこかに追い出しただろう。しかし父はそれをしなかった。それは、紛れもなく父が私を愛していたからである。人並みに学校に通わせ、錬金術の話ばかりではあったが父娘の会話を成り立たせて、彼なりに必死に愛情を表現していたのだ。
 年頃の娘が父親に抱く反抗の気持ちと、研究が佳境に入った頃の父の怖い印象が強すぎて、こんな大切なことをすっかり忘れてしまっていたのである。

――なんだ、私、父親の愛情をちゃんと知っているじゃない。

 夫の優しい子守唄を聞きながら、父の不器用な愛情を噛みしめた。



(2008.03.10)

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親になって初めてわかる親心もたくさんあるのです。
でも、こんなものを書いておいて何ですが、リザはちゃんと父親の愛情をわかっているような気がします。
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