「醤油のうどん、食いてぇなぁ」
最初に言い出したのは、永倉だったか、原田だったか。それぞれが思い出したのは、この京ではまず口にすることのない醤油味。出自はそれぞれだが、一様に馴れ親しんできたのは関東の味だ。
蕎麦のつけつゆに東西の差はあまりないものの、うどんのかけつゆには大きな差があり、関東出身の物にとってみれば出汁のきいた薄味の関西風のうどんは食べた気がしない。うどんが主流の関西と違って、江戸中心部では蕎麦文化が主流であるが、ときにはその味が懐かしくなることもある。
たらふく飲んで、食べて帰って来た彼らが言うのだから、きっとその味が懐かしくなったのだろう。まして、朝晩の冷え込みが気になる季節になったのだ、温かいうどんが恋しいのも無理はない。
「おうどん…って隊士の皆さんの分を用意するのは無理ですよねぇ…」
せめて幹部の希望くらいは取り入れたい、そう思う千鶴も、江戸で父親と暮らしていたころはまだほんの子供だったため、さすがに自分でうどんを打ったことはなかった。買ってくるにしても、大食漢の隊士たちの満足のいく量を用意するのは金銭的にも大変そうだ。
明朝の献立を何にするか悩んでいた千鶴が先の事をふと思い出して小さく溢すと、やはり明朝の食事当番である井上が、ぽんと軽く膝を叩く。
「それじゃ、うどん打とうかね」
「え?井上さん、おうどん打てるんですか?」
ぽかんと口を開けて瞠目する千鶴に、そこまで驚くことかと井上は苦笑する。
「日野じゃ、冠婚葬祭、事あるごとにうどんだからね。子供のころからしょっちゅう手伝わされてたよ」
そうときまったら今日は早く寝ないといけないね、そう言って井上は席を立つ。
「明日は早いよ。君も早く休みなさい」
そう言ってにっこり笑う井上に、千鶴は小さな力瘤を作る。
「はいっ、頑張ります!井上さん、しっかり教えてくださいね」
井上直伝の日野の味なら、近藤や沖田もきっと食べたことがあるはず。土方も懐かしい味に喜んでくれるだろうか。それとも、「またうどんか…」とうんざりした顔をするだろうか。
逸る気持ちを抑えきれないまま、千鶴は自室に戻った。
(2013.9.10,再掲2013.12.05)