「それで、お嬢さんはコーヒーのどのようなところが苦手なのですか?」
山南が千鶴に優しく話しかけてくる。
「どのようなところ?」
「コーヒーの苦手な方は、大抵、苦味か酸味のどちらかが苦手だとおっしゃいます。後は、体質的に受けつけないという方も」
「あ…どちらかというと酸っぱいのが苦手です。美容院とかで出されると、飲むのが苦痛で」
でも家で牛乳とお砂糖をたっぷり入れれば飲めるんです、そう慌てて付け加えると、山南は「なるほど」と言って、千鶴の目の前で一種類の豆を挽き始めた。
「ミルクといっても、よく店舗で使われるポーションタイプのものは、ほとんどが植物性油脂ですからね。それからインスタントコーヒーやコーヒーメーカーで淹れたものは、やはりコーヒーの本質を引き出すのは難しい。味がどうしても落ちます」
挽いた粉をドリッパーに入れる。すると、先ほど外に流れてきたような香ばしいコーヒーの香りが、広がった。千鶴は思わず「わあ、いい香り!」と感嘆の言葉を漏らす。
「そうでしょう。コーヒーは挽きたてが一番ですからね。作り置きしておくと、どうしても香りが飛んでしまう」
そう言いながらも、山南は一度ドリップポットに移したお湯を注ぎ、コーヒーを落とす。そして、サーバーからエスプレッソカップに7分目ほどコーヒーを注ぎ、千鶴の前に出した。
「どうぞ」
千鶴は山南を見るが、その有無を言わさない視線に、カップに口をつける。恐る恐る口に含むと、想像していた酸味も苦味もほとんどなく、すっきりとしたお茶のような味わいである。しかし決して薄いのではなく、香りとコクがきちんとある。
「…あれ?おいしい」
千鶴が目を丸くして、もう一口つけると、山南は「そうでしょう」と嬉しそうに言った。
「ミルクや砂糖を入れると、かえって酸味や苦味が強調されてしまうことがあるのですよ。この『マンデリン』のように種類によっては、何もいれずにストレートで飲んだ方が美味しくいただけるものもあるのです」
でも、と山南は続ける。
「初心者にはこれを飲みきるのは少々厳しいかと思いますから、こちらの土方君特製カフェオレをどうぞ」
その言葉と同時に横から出されたのは、ミルクたっぷりのカフェオレ。いつの間にか、土方が運んで来たのだ。
山南の軽口に恨みがましい視線を送りつつ、土方は千鶴に差し出す。
「…さっきは悪かった」
土方の視線が千鶴を正面からとらえて、そして素直に謝られた。その紫の瞳に吸い込まれそうな感覚を覚えて、千鶴は「あ、いえ」と慌てて視線をカフェオレに落とす。
「もし甘み足りないようだったら、自分で適当に足してくれ」
カップを持ち、一口つける。熱いと思って警戒しながら飲んだそれは程良い温かさで、ほんのりと甘く、コーヒーの香りを残しつつも、ミルクの割合が多いせいか酸味も苦味も感じられない。
「わあ、おいしい!こんなにおいしいカフェオレ、初めて!」
千鶴は思わず感嘆の声を上げ、そして土方を再度見上げた。山南は千鶴の目の前で先ほどのコーヒーを淹れていた、ということは、このカフェオレを淹れたのは土方だ。先ほどの山南との会話から、千鶴の好みを割り出したのだろう。
「甘さは大丈夫だったか?」
「はい、ちょうどいいです。土方さん、ありがとうございます!」
素直な千鶴はお礼の言葉を投げかけると、名前を呼ばれた土方は一瞬瞠目した後、少し照れくさそう「よかった」と告げた。
「我々はプロですからね。お嬢さんのようにコーヒーが苦手という方には、どんどん相談していただきたいものです」
「そうですよね、土方君?」と山南は土方に話を振る。土方はうるさいとばかりに、山南から視線を逸らした。その様子に、千鶴はくすくすと笑う。
バツの悪くなった土方が、話題の転換とばかりに千鶴に話を振る。
「しかし、なんだってこんな大雪の日の朝早くからうろついてたんだ?」
「そこの学生だろ?」そう言われて、千鶴は眉をハの字に下げる。
「大学に来たら、全部休講だったんです」
「今どきの大学って、休講くらいネットで見られるじゃないのか?」
「私、家が遠くて、今日は電車も徐行だろうと思ってネット配信より早く家を出たんです。それに今日、携帯忘れてきちゃって、途中で確認できなくて」
持っていても使い方が良く分からないんですけど、そう続ける千鶴に、「とろいヤツだな」と再び土方が呆れたような視線を送る。
「でも、そのお蔭で我々は貴方と出会えたのですから、大雪に感謝しなければなりませんね」
あわあわとして居心地悪そうな千鶴に、山南が助け船を出してやると、的を射たとばかりに千鶴が告げる。
「そうです!こんなにおいしいカフェオレをいただくことができたんだから、頑張って来て良かったです」
そう言ってにっこりと笑う千鶴に、土方は目を細めた。
「おや、私が淹れたコーヒーはなかったことになっていますね」
「そ、そんなことないです…!あれも、びっくりしました!」
そんな軽口をとばす山南と千鶴のやり取りを見ながら、土方は再びカランと鳴った店の扉に対応した。
気づけば昼時になり、天候の悪い中でもちらほらと客が入ってくるようになった。電車も動き出したのだろう、窓を見遣れば、外を歩く人も先ほどよりも少し増えてきたようだ。
これ以上の長いはお店の迷惑になる、そう判断した千鶴は荷物を纏めて席を立つ。
「ごちそうさまでした」
「ぜひまたいらしてください」
「はい、また来ます!」
会計を済ませ、山南と嬉しそうに会話しつつ、律義にも土方に向かってぺこりとお辞儀をして帰っていく千鶴を、土方は優しい目で見つめていた。
(2014.1.14(2014.12.29再掲))